2009年 11月 12日
袋小路からの脱出
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Vol.28【2009年11月12日(木)】
本田直之著「なまけもののあなたがうまくいく57の法則」という本の最初に、「・始められない ・続けられない ・だらだらしてしまう」という引きの強いワードがあった。
何かをやろうとしたとき、こんな壁にぶつかっていないか?という指摘である。この三重苦と同じように、考えが煮詰まったり、考え方が浅くなったり、モヤモヤが募ったりということが、ビジネスの場においても当然起こっている。
また、仕事をするうえでの土台ともなるプライベートの生活でもそんな壁にぶつかっていると仕事への悪影響も甚だしくなる惧れがある。
個人的なことだが、かつては相当なヘビースモーカーであった。1日に2箱、飲みに行けばそれ以上という生活が続いていた。何度も禁煙をしようと試みては、「・始められない ・続けられない ・だらだらしてしまう」ばかりであった。それは、タバコを止めようとしていたからであった。で、1995年の4月3日の午後8時をもって「吸わない」ようにしてみた。毎朝仕事場に行く際に買う2箱のタバコ分の金額500円を家を出る際に、「今日は吸ったつもり」として貯金していった。
すると、これまで止められなかったタバコが吸わなくていられるようになった。だから今でもタバコは止めていない、単にその日から吸っていないだけである。
何か始めようとすると自分を律しようとして、自己強制力が働くことになる。真面目な人ほどその傾向は強い。こうしたいからこうせねばならない、といった論理展開しか出来なくなってワンパターンの思考に陥ることもありがちだ。
また、毎日毎日同じ生活を律義にしていると、周囲が変化しているにも関わらず、自分だけ浦島太郎状態になっていることだってある。規則正しい生活は心身ともに良い影響を与えるだろうが、いつしかマンネリ化によって外からの刺激に弱くなることもある。
あるいは、以前は好きだった仕事がだんだんつまらなくなり、愛情も意欲も湧かずに、ただダラダラと過ごしてしまって、それで良しとしている自分に気がつくことはないだろうか?
冒頭のタバコを止めるの例ではないが、ワンパターンの発想(ここでは、禁煙する→それにはタバコを止める)しかなくなっていて、タバコを止めるという自己強制の重みと破ってしまう意志薄弱さの自虐的な連鎖だけが空転するということになる。
タバコを止めるのではなく、吸わないようにする、というのは一つの発想のパターンを変えてみたことになるだろう。A+B=CというCを求める足し算ではなく、Cにあてはまる引き算を考えることだって結果は同じである。
自分への強制力や過去のしがらみからの解放は、ちょっとした図式で出来るのではないだろうか?
プライベートでも仕事の通勤でも毎日毎日同じことばかり繰り返して、いつの間にか1か月が過ぎ、1年が経ちという年月の積み重ねだけで、何の収穫もないことはないだろうか?
確かに規則正しい生活が健康にも毎日の精神状態にも好影響を及ぼすことはある。ただ、要は袋小路に陥ってしまった時に、それを打破してみることも必要だということである。何らかの理由で始めた生活のリズムだけに、それを一回壊すのは難しいと思ってしまうかも知れないが、些細なことでいいのである。会社の帰り道を代えてみるとか、いつもとは違うコンビニに行くとか、目覚ましを5分早めるとか、ちょっとした生活リズムを変えることで袋小路から脱出できることだってある。
以前は好きで仕方なかった仕事に興味を持てなくなってしまうことがある。どう努力しても面白みが湧かない。そんな状態に陥っているのは、やはり自分への強制力が強いからではないだろうか?あるいは仕事をこなすことが仕事であると思ってはいないだろうか?
仕事自体を楽しくするには、仕事のやり方を変えてみるしかないのではなかろうか?仕事に対する自分の見かたというものを90度転換してみたら、仕事全体が変わって見え、新鮮な感じを持つことが出来るかも知れない。
煮詰まってしまった時の脱出策の一つではあろう。
なまけもののひとや怠けてしまう時というというものが誰にでもあるだろう。真面目で律義で堅い性格の人でも、重箱の隅を突いている袋小路にいることがあるのである。その時はなまけていないと思っていても、何かが始らない、続かない、ダラダラとしてしまう、といった状態にあるのではないか?
自力で何でも解決できると意気込むよりも、他力本願、流されてみたりすることだtって、袋小路からの脱出の一つの方法なのである。
袋小路の出口はどこか、袋小路を紙に描いてみたらよい。二次元ではなく三次元に解があるものだ。
※参考:「なまけもののあなたがうまくいく57の法則」 本田直之著 大和書房
本田直之著「なまけもののあなたがうまくいく57の法則」という本の最初に、「・始められない ・続けられない ・だらだらしてしまう」という引きの強いワードがあった。
何かをやろうとしたとき、こんな壁にぶつかっていないか?という指摘である。この三重苦と同じように、考えが煮詰まったり、考え方が浅くなったり、モヤモヤが募ったりということが、ビジネスの場においても当然起こっている。
また、仕事をするうえでの土台ともなるプライベートの生活でもそんな壁にぶつかっていると仕事への悪影響も甚だしくなる惧れがある。
個人的なことだが、かつては相当なヘビースモーカーであった。1日に2箱、飲みに行けばそれ以上という生活が続いていた。何度も禁煙をしようと試みては、「・始められない ・続けられない ・だらだらしてしまう」ばかりであった。それは、タバコを止めようとしていたからであった。で、1995年の4月3日の午後8時をもって「吸わない」ようにしてみた。毎朝仕事場に行く際に買う2箱のタバコ分の金額500円を家を出る際に、「今日は吸ったつもり」として貯金していった。
すると、これまで止められなかったタバコが吸わなくていられるようになった。だから今でもタバコは止めていない、単にその日から吸っていないだけである。
何か始めようとすると自分を律しようとして、自己強制力が働くことになる。真面目な人ほどその傾向は強い。こうしたいからこうせねばならない、といった論理展開しか出来なくなってワンパターンの思考に陥ることもありがちだ。
また、毎日毎日同じ生活を律義にしていると、周囲が変化しているにも関わらず、自分だけ浦島太郎状態になっていることだってある。規則正しい生活は心身ともに良い影響を与えるだろうが、いつしかマンネリ化によって外からの刺激に弱くなることもある。
あるいは、以前は好きだった仕事がだんだんつまらなくなり、愛情も意欲も湧かずに、ただダラダラと過ごしてしまって、それで良しとしている自分に気がつくことはないだろうか?
冒頭のタバコを止めるの例ではないが、ワンパターンの発想(ここでは、禁煙する→それにはタバコを止める)しかなくなっていて、タバコを止めるという自己強制の重みと破ってしまう意志薄弱さの自虐的な連鎖だけが空転するということになる。
タバコを止めるのではなく、吸わないようにする、というのは一つの発想のパターンを変えてみたことになるだろう。A+B=CというCを求める足し算ではなく、Cにあてはまる引き算を考えることだって結果は同じである。
自分への強制力や過去のしがらみからの解放は、ちょっとした図式で出来るのではないだろうか?
プライベートでも仕事の通勤でも毎日毎日同じことばかり繰り返して、いつの間にか1か月が過ぎ、1年が経ちという年月の積み重ねだけで、何の収穫もないことはないだろうか?
確かに規則正しい生活が健康にも毎日の精神状態にも好影響を及ぼすことはある。ただ、要は袋小路に陥ってしまった時に、それを打破してみることも必要だということである。何らかの理由で始めた生活のリズムだけに、それを一回壊すのは難しいと思ってしまうかも知れないが、些細なことでいいのである。会社の帰り道を代えてみるとか、いつもとは違うコンビニに行くとか、目覚ましを5分早めるとか、ちょっとした生活リズムを変えることで袋小路から脱出できることだってある。
以前は好きで仕方なかった仕事に興味を持てなくなってしまうことがある。どう努力しても面白みが湧かない。そんな状態に陥っているのは、やはり自分への強制力が強いからではないだろうか?あるいは仕事をこなすことが仕事であると思ってはいないだろうか?
仕事自体を楽しくするには、仕事のやり方を変えてみるしかないのではなかろうか?仕事に対する自分の見かたというものを90度転換してみたら、仕事全体が変わって見え、新鮮な感じを持つことが出来るかも知れない。
煮詰まってしまった時の脱出策の一つではあろう。
なまけもののひとや怠けてしまう時というというものが誰にでもあるだろう。真面目で律義で堅い性格の人でも、重箱の隅を突いている袋小路にいることがあるのである。その時はなまけていないと思っていても、何かが始らない、続かない、ダラダラとしてしまう、といった状態にあるのではないか?
自力で何でも解決できると意気込むよりも、他力本願、流されてみたりすることだtって、袋小路からの脱出の一つの方法なのである。
袋小路の出口はどこか、袋小路を紙に描いてみたらよい。二次元ではなく三次元に解があるものだ。
※参考:「なまけもののあなたがうまくいく57の法則」 本田直之著 大和書房
by bn0707bn
| 2009-11-12 11:36