2009年 10月 23日
競合を意識する力
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Vol.25【2009年10月23日(金)】
先週遅い夏休みを取ったために、更新が滞ってしまった。最近はMECEなどのキーワード検索で訪問される方も多くなってきた。
前回「勝つための営業力」と題して、自社優先の考え方ではなく、あくまでも得意先思考、つまり得意先の立場になったらどうするだろうか?どうなんだろうか?と考えてみることによって、自社の利益が創造されることを書いた。
そこには自社だけでなく、得意先という利益の源泉を見なくてはならないという、市場経済にあっては当然のことを含んでいた。
最近社会を騒がせている高級官僚の「渡り」や「天下り」といった世界にはそういった力学は働かないのかも知れないが、通常の会社であれば、どの業界でも当然の摂理ではある。
ところが、自社と得意先だけでその業界が成り立っているわけではないことは誰もが分かっているのだが、実際には、競合会社があたかもいないかのように振舞って、あるいは考えてしまう企業人がいたりもする。いや、そうなっていることが多いのではないだろうか?
「競合を意識する力」とは通常の頭の回転に戻すことであるのだ。
営業力の強い会社の営業トップほど、うちは得意先と非常に強い関係を構築出来ている、と豪語する。得意先との関係を強化するのは当然なのだ。だが、一方でそれが、自分たちから見た観点だけで捉えていないだろうか?
また、特に技術畑出身の人間に見受けられるのだが、自分たちの商品ほど優れたものはないとの自負を持っている場合もある。これも自画自賛系であることがある。
そして、会社内で成績や能力がトップクラスの人間で、自分は誰にも負けないと自惚れている場合もあるのではないだろうか?特に同じ会社で階段を上ってきた人間には。
そういった、自らが自らの絶対的な評価に頼るのは危険である。
得意先と仲が良いのはいいことである。正当な手続きでの情報入手を円滑に行えるし、彼らの抱える課題が分かり易くなるからである。ただ、あまりに癒着するとリスクの多いことは誰でも知っている通りである。
しかし、得意先と仲が良いのは自社だけではないのである。得意先は自分たちの利益を最優先にするのであるから、当然価値ある情報はどこからでも入手したい。従って、競合他社とも仲が良いのである。これは自明の理である。
自社だけが得意先を押えているわけではないのである。
自社製品を愛することは非常にいいことである。自社の商品やサービスを知らずして、愛さずして、セールス出来る筈がない。しかし、自社へのロイヤルティが高じてしまうと思わぬ落とし穴が待ち受けていることもある。
自社商品のセールスポイントを自社の都合だけを考えて、市場や得意先ニーズとは無関係な世界で構築してしまうことが見受けられないだろうか?
セールスシートの表は自社の旧製品比較であったり、自社単独の指標であったりはしないだろうか?
得意先は競合商品とどの点をどう比較しているのか?を考えなければならない。
井の中の蛙大海を知らず、という諺がある。自分だけの世界にいると往々にして天狗になりがちである。他流試合の経験を持たない、あるいは競合企業の人物像を知らない企業人は、フィールドが広がってしまうと、とたんに慌ててしまうのである。自分が生きるフィールドを狭くすれば自分はトップで居られるかも知れない。が、フィールドは競合という存在によって広がってしまうのである。
自社のポジションをどう位置づけられるのか?は自社だけを見ていても埒が明かない。常に競合あるいは競合をなるであろうところと相対的な関係を意識することが、自社と得意先の関係性を明確にする武器でもあるのである。
「競合を意識する力」は自然とは身につかない。相対的な視野は意識的に持っていなくてはダメなのである。
先週遅い夏休みを取ったために、更新が滞ってしまった。最近はMECEなどのキーワード検索で訪問される方も多くなってきた。
前回「勝つための営業力」と題して、自社優先の考え方ではなく、あくまでも得意先思考、つまり得意先の立場になったらどうするだろうか?どうなんだろうか?と考えてみることによって、自社の利益が創造されることを書いた。
そこには自社だけでなく、得意先という利益の源泉を見なくてはならないという、市場経済にあっては当然のことを含んでいた。
最近社会を騒がせている高級官僚の「渡り」や「天下り」といった世界にはそういった力学は働かないのかも知れないが、通常の会社であれば、どの業界でも当然の摂理ではある。
ところが、自社と得意先だけでその業界が成り立っているわけではないことは誰もが分かっているのだが、実際には、競合会社があたかもいないかのように振舞って、あるいは考えてしまう企業人がいたりもする。いや、そうなっていることが多いのではないだろうか?
「競合を意識する力」とは通常の頭の回転に戻すことであるのだ。
営業力の強い会社の営業トップほど、うちは得意先と非常に強い関係を構築出来ている、と豪語する。得意先との関係を強化するのは当然なのだ。だが、一方でそれが、自分たちから見た観点だけで捉えていないだろうか?
また、特に技術畑出身の人間に見受けられるのだが、自分たちの商品ほど優れたものはないとの自負を持っている場合もある。これも自画自賛系であることがある。
そして、会社内で成績や能力がトップクラスの人間で、自分は誰にも負けないと自惚れている場合もあるのではないだろうか?特に同じ会社で階段を上ってきた人間には。
そういった、自らが自らの絶対的な評価に頼るのは危険である。
得意先と仲が良いのはいいことである。正当な手続きでの情報入手を円滑に行えるし、彼らの抱える課題が分かり易くなるからである。ただ、あまりに癒着するとリスクの多いことは誰でも知っている通りである。
しかし、得意先と仲が良いのは自社だけではないのである。得意先は自分たちの利益を最優先にするのであるから、当然価値ある情報はどこからでも入手したい。従って、競合他社とも仲が良いのである。これは自明の理である。
自社だけが得意先を押えているわけではないのである。
自社製品を愛することは非常にいいことである。自社の商品やサービスを知らずして、愛さずして、セールス出来る筈がない。しかし、自社へのロイヤルティが高じてしまうと思わぬ落とし穴が待ち受けていることもある。
自社商品のセールスポイントを自社の都合だけを考えて、市場や得意先ニーズとは無関係な世界で構築してしまうことが見受けられないだろうか?
セールスシートの表は自社の旧製品比較であったり、自社単独の指標であったりはしないだろうか?
得意先は競合商品とどの点をどう比較しているのか?を考えなければならない。
井の中の蛙大海を知らず、という諺がある。自分だけの世界にいると往々にして天狗になりがちである。他流試合の経験を持たない、あるいは競合企業の人物像を知らない企業人は、フィールドが広がってしまうと、とたんに慌ててしまうのである。自分が生きるフィールドを狭くすれば自分はトップで居られるかも知れない。が、フィールドは競合という存在によって広がってしまうのである。
自社のポジションをどう位置づけられるのか?は自社だけを見ていても埒が明かない。常に競合あるいは競合をなるであろうところと相対的な関係を意識することが、自社と得意先の関係性を明確にする武器でもあるのである。
「競合を意識する力」は自然とは身につかない。相対的な視野は意識的に持っていなくてはダメなのである。
by bn0707bn
| 2009-10-23 14:33